早大学院受験記⑮

9月の学校説明会は一度中止になったものの10月に学校見学会が開催されて息子と二人で行ってきました。

前回は人気のない学院でしたが今回は時間単位で人数制限はありましたがにぎやかな見学となりました。

各教室も入る事ができ、一通りめぐって息子が発したセリフが

「ここを俺の母校にします」

でした。ますます学院への想いを募らせたようです。

明中も説明会が開催されたのでこちらは父と一緒に行きましたが父も明中いいね~と。

帰りに二人で湯島天神によってきたそうです。

いよいよ受験が近づいてきた感じがしましたね、学校見学で。

 

学校の最後の面談で受験校確認。

第一希望変わらず。

「正直厳しくないですか?」と担任。

「そうですね、厳しいです。模試でも合格可能圏になったのは1度だけです」

「でも変えません。第一希望は行ける学校じゃなくて行きたい学校にします。」と息子の強い意思を聞いて担任も

「わかった。じゃあたくさん受けるみたいだけど用意はちゃんとするから任せて」と言って下さいました。

この時点で最終内申41。美術はあがらないままでした。

学院には自己推薦もあります。内申40以上で出せます。

息子はなんせ第一希望ですから自己推薦も出したいと担任に話しました。

「わかりました。いい事いっぱい書きますね!」と言って頂き最終面談終了。

この時提出した受験校一覧(他の生徒さんより多かったので表にしてもっていきました)

併願確約1校

専松

昭和秀英

学院(自己推薦・一般)

本庄

明中

学校で一番多かったと思います。ここからが親の正念場。

提出日程の確認、書類の到着日の確認などなど気の抜けない日々が始まります。

 

塾にも学院の自己推薦の事は話しておきました。最終面談で。

他にも推薦受ける子がいるので冬期講習中に面接の練習をしてくれるとの事でした。

学院の調書はとっても書くことが多いのですぐに取り掛かって早急に見せて下さいと。

この面談がどちらも11月の頭かな?

学院の自己推薦は最初から頭にあって。どんな事を書くのか日々考えておくようにとは話してました。また書き方の勉強には日経新聞がいいとの父の助言で中二の終わりぐらいから日経に変えて毎朝読んでから学校に行くようにしてました。

気になる記事は自分で切り抜いてスクラップも作ってたようで。

新聞読むようになってから色んなことへの興味が一段と広がったようで受験に関係なくいい習慣だったと思います。